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鹿児島県志布志市の寺院

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方広寺 

方広寺(天台宗山門派)は、豊臣秀吉により建立されたお寺です。
建立時には、東大寺に倣った大仏殿が作られました。
この、大仏殿と西本願寺を結ぶ道を「正面通り」と呼びますが、
その線上の間に、東本願寺とその庭園である渉成園があり、通りを途中で遮る形で造らています。

方広寺

ちなみに、正面通りの「正面」とは方広寺の大仏に向かって正面ということで、
江戸期に入ってから、そのように呼ばれるようになったということです。

当時の大仏は、秀吉の刀狩りで大量に集まった鉄を使って、建立されたということです。
しかし大仏殿は、1798年に落雷による火災で消失しています。
(上の写真の鐘堂の左奥が、現在の本堂ですが、現在修復中でした。)

方広寺の鐘

このお寺の梵鐘には、かの有名な「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が有り
現在も、当時のまま残っています。
方広寺の大仏殿の跡地に、現在は、豊国神社の社殿がたっています。
秀吉は死後、天皇より「豊国大明神」の神号を頂き、廟所を建立するのですが、
徳川の世になり、その廟所は廃所となります。
しかし、明治に入って、明治天皇より、「秀吉は幕府を作らなかった」ことを評価され、現在の社殿が作られることになったということ。

豊国の唐門

上の写真は、豊国神社の「唐門」で、西本願寺、大徳寺の唐門とともに国宝に指定されています。
伏見城の遺構ということ。

豊臣⇒徳川⇒明治という時代の変遷の中、
豊臣の後ろ盾で、京都に本山を構えた西本願寺は、方広寺大仏へまっすぐに向かって建立され、
東本願寺は徳川の後ろ盾で、西本願寺と方広寺の間に通りを遮るように建立され、
明治に入り、秀吉の廟所は、徳川の世を終わらせた明治天皇により復活された、
ということなんでしょうね。
京都ならではの歴史の変遷のダイナミズムを感じます。

ほうこくさん
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2013/01/24 01:05 編集

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