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浄土真宗 一向山専念寺伊勢堀院 BLOG

鹿児島県志布志市の寺院

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浄土真宗別格本山稲田山西念寺 

親鸞聖人が東国にて布教されていた期間
もっとも長く滞在したのが稲田の草庵です
昨日のブログで、幸嶋(さしま=現在の猿島)の成然が
稲田へ聖人を訪ね門弟となったと記しましたが
その地が稲田です

稲田山西念寺山門

高下恵先生の『親鸞聖人御旧跡巡拝誌(関東編)』には
「親鸞聖人の稲田草庵の跡はどこであるか、ということは、
史家のあいだにいまだ定説がなく・・・」とされています

稲田山西念寺本堂

昨年末刊行された『親鸞の風景』(茨城新聞社刊)は
「現在の西念寺に稲田の草庵は営まれていた」と記しました
そして、現在の仏教史家の今井雅晴教授は
稲田の地に積極的な意味を見出されています
その著書『親鸞と恵信尼』において
関東二十四輩と呼ばれた門人たちの住所が40キロ範囲内にあることや
常陸国には妻恵信尼の実家の三善家が
家司として仕えている九条家の領地があり
稲田から5~10キロの至近距離であったことなどを記しています

西念寺親鸞聖人座像
   西念寺親鸞聖人像

そして、最もなるほどという説は、
親鸞聖人は茨城において『教行信証』を執筆するために
この稲田に住んだという指摘です
稲田社は広大な社領を有する名神大社であったことです
(多少の誤差はあっても)稲田社の敷地内に草庵はあった
とするのはそれが根拠です

西念寺恵信尼座像
   西念寺恵信尼像

神仏分離令以降相当期間たった我々からは想像がつかないのですが
当時の神社は僧によって運営され、仏教経典が豊富にあったようです
そして鹿島神宮へ聖人が通ったという説も
おそらくは、日常的には稲田を利用したであろうとしています

親鸞聖人頂骨堂
   西念寺御頂骨堂

境内の由緒書きは聖人の伝説に満ちていますが
はたして史実はどうだったんでしょうね?
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