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浄土真宗 一向山専念寺伊勢堀院 BLOG

鹿児島県志布志市の寺院

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専念寺境内の観音菩薩像 

わが専念寺の境内には、
観音菩薩様がこのように、
椿に囲まれて立っておられます

最近まで寒い日があったため、
遅霜にやられているのもありますが
境内には、いろんな椿が咲き乱れています

境内の観音様

椿の密に誘われて
あわただしく、小鳥が枝から枝へ飛び交い
椿の樹を行ったり、来たりしています

そろそろ、椿も終わり
来年もこの季節が楽しみです
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お彼岸 

昨日は、彼岸の中日、
伊勢堀院の春季彼岸法要がつとまりました
本堂に入りきれないほどの参拝
ありがたいことでした
また、多くの方々に、東日本大震災の義援金にご協力いただきました
日本赤十字社を通じての募金とさせていただきます

そして、志布志の街がこのような災害に遭ったときでも
門信徒の皆様が、当院へ安心して避難できるように
その対策について、寺報でお知らせすることになりました

岩躑躅

専念寺の庭の岩躑躅が満開です
今年は、本当に見事に咲き誇っています
本日、明日の彼岸法要の際に、お立ち寄りを!

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わが村の田の神さま 

先日は、鹿児島大学の田の神に登場してもらいましたが
今回は、わが村の田の神さあを紹介します

この田の神は、地域の村の鎮守の神様、
田中神社の鳥居の左わきに鎮座しています

わが村の田の神さあ

もともと、初期の田の神は小さかったのですが
江戸後期になると、田の神さあは大きく作ったようです

かつては、田の神さあをお互いに村同士が「盗む」という習慣があり
「盗んだ村」が田の神さあを「返す」とき、
「盗まれた村」は田の神さあを迎え入れる際に
祝宴を「盗んだ人々」と行い、村同士の交流を図っていたそうです

しかし、次第に盗んだ田の神さあを
本当に返さない事が多発したために、
田の神さあを大きく作り、
運べなくするようにしていったとのこと

わが村の田の神さあ
このように、堂々としたお姿です

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満開の梅 

本寺の梅が満開です
庭のあちこちから良い香りを漂わせています

春はいろいろな花の香りをはこんでくるので
庭に出て、花を眺めていると
くしゃみが止まらなくなっていました

今年の花粉の量は半端じゃない
早々に家に避難でした

満開の梅

テレビをつけると、東北の大地震報道
こんなことが、おきてしまうなんて・・・絶句です

悲しみに打ちひしがれている方々へ、
心からお見舞いを申し上げたいと思います

そして、この日は、この志布志の地域が津波に襲わたときも
寺として、非常時の対応ができるようにしなくては、
そう言うことを父と話し合いました

幸い、分院の伊勢堀は高台にあります
水、非常食、いざという時の備えがあれば、
門信徒の方々も心強いだろうし、
早急に取組まなくては、と思う一日でした

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鹿大の田の神舞の石像 

鹿児島大学に研究に訪れているのですが
キャンパスの中に「田の神さあ」がいるのを発見

なんとものどかなお姿で、しばし見入ってしまいました

鹿児島大学の田の神さあ2

戦前、鹿児島大学農学部の前身
鹿児島高等農林学校ができた際に、
構内にあった田の神舞の石像をそのまま安置していたもの

戦後直後、宗教追放で、地下に埋められていたものが
1963年に発見され、現在の地に移転
再び構内に鎮座することになったらしいです

鹿児島大学の田の神さあ3

大学のもつ豊かさはこういうところにも現れているような
そういう気がしたひと時でした

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沖縄県立博物館・美術館 

沖縄滞在の一番最後に、半日ほど時間があったため
沖縄県立博物館・美術館に立ち寄ることができました

ここは、かつて米軍の基地だったそうで、
商業地域として、再開発が進んでいました

ただし、一括の返還でなかったため
計画的な開発ができなかったらしく、
この施設の眼の前は、パチンコ屋さんで
美術館の前に、どうなんだろうねぇ?という、地元の方の声

沖縄県立博物館・美術館

ともあれ、中をのぞいてみると
とても広く、博物館の常設展、企画展
美術館の常設展、企画展があり
とても半日では、見ることができないほどの所蔵です

しかし、さすが独自の文化を持つ沖縄
見ごたえがあります
博物館の常設展だけみて、18時になり、時間切れ
外にある、沖縄の民家をみて、ホテルへ戻るのでした

沖縄県立博物館

もう少し周辺に緑が欲しいかなぁ

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沖縄のお墓?納骨堂? 

この写真なんだかわります?
家にしては小さいし・・・
いっけん、防空壕のようにも、トーチカのようにも見えるような?

この建物、沖縄戦の際には、アメリカ軍が、軍事施設と誤認して攻撃の対象としたとか
はたまた、砲撃を逃れるため、住民がここに避難し、そのため攻撃の対象とされたとか

沖縄の墓地

よく見ると、こんな風にできています

知っている人は、もうわかっていると思いますが、
これ、沖縄のお墓だそうです

沖縄のお墓

亀甲墓というらしいですよ
台湾、香港、中国南部にも存在するらしいです

個のお墓の前の広くなったところで清明祭(シーミー)が行われるということ
二十四節気の清明(せいめい)の時に行われるから、そのような名前であるらしい

これは、お墓がいくらあっても土地が足らない・・・?
ということはなくて、門中と言って、
親族(父系の一族?、判例では人格のない社団とか)の方が入るそうです
親族で作った納骨堂・・・というイメージでしょうか?

大陸から伝来してきた慣習らしいです

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沖縄国際大学 

沖縄国際大学
故玉野井芳郎先生が学長を勤めた大学

私にとってはそのイメージが強いのですが
全国に衝撃を与えた事件が起きた場所でもあります

沖縄国際大学1

この写真は、その大学内にあるモニュメント
これだけでは何かわからないかもしれませんが
事件当時の、次の写真をみれば、
「あーあの事件か!」と思い出される方も多いはず

沖縄国際大学5
      (ヘリ墜落当時の沖国大のモニュメントの写真より)

そうです、この樹を事件を風化させないために残し、周辺を記念公園として整備したものです

沖縄国際大学4
      (ヘリ墜落当時の沖国大のモニュメントの写真より)

2004年8月13日在日米軍普天間基地所属のヘリが
訓練中にコントロールを失い、沖縄国際大学に墜落、米兵3名が負傷
幸いにも、死者は出なかかったが、大きな損害とショックを与えた
そういう事件でした。

この日も、多くの米軍機が頭上を飛んでいました
これが沖縄の日常であるという現実

沖縄国際大学3

この壁は、校舎に残されたヘリのプロペラが付けた傷跡です
建物の中にも損害があり、大学会計課のフロアにも衝撃で破片が広がったといいます
当時は、そのフロア周辺の人たちはちょうど席を外していたりして
幸いにも難を逃れたとか・・・

現在校舎は場所を移して、現在真新しい校舎に建て替えられています

沖縄国際大学2

沖縄国際大学の図書館には、当時の記録が資料として残されています

日米地位協定を盾に、日本の消火活動が終わると同時に
行政も、そして被害者の大学関係者も現場に立ち入れなかった
日本で起きた事件にもかかわらず、沖縄県警も現場で捜査できない
あらためて、ことの深刻さを再認識した日でした

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首里城 

京都から沖縄へ
龍谷大学松島ゼミのフールド調査のため沖縄入りしました
待ち合わせの時間まで、少し間があったので、首里城へ行ってみました

守礼門

首里城は、1945年、米軍による爆撃によって完全に破壊されました
その後、1958年に復元されています

世界遺産に登録され、外国人の観光がとても多かったです

歓会門
↑歓会門 中国からの冊封使(さっぽうし)を迎え入れた門
もちろん、日本の城とは全く違う特徴のある城です
どちらかというと、黄檗宗のお寺の門を彷彿とします

沖縄は、琉球処分により、日本に併合されることになるのですが
それまでは琉球王国は、清と薩摩の狭間の中で独立国家として存在しました

正殿

写真は、南殿方面から正殿を望む風景
南殿は薩摩の使者が駐在した建物です
正殿は残念ながら修復中

城壁の石組は緻密で
近くから見ても遠くから見ても美しいです

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